Updated on 1月 18, 2021
ルドン・ルートレック展
目次
三菱一号館美術館に現れたルドンの花
@三菱一号館美術館
こんにちは、matsumoto takuya です。今回は三菱一号館美術館で開催されている「ルドン・ルートレック展」について取り上げます。
ルドンとルートレックは共に19世紀後期から20世紀初期にかけて活動したフランス人画家です。ルドンは同世代の印象派とは違い幻想の世界を描き。一方ルートレックも印象派とは違うスタイルで娼婦や踊り子のような夜の世界の女たちを多く描いています。
一方は内向的、もう一方は外向的な作風でメリハリあるキュレートのほか、近い世代に活躍した他の画家、ミレー、ゴーギャン、ボナール、セザンヌ等の名画も鑑賞でき、良質の絵画を堪能できる贅沢な内容でした。
仕事が良質であったかの一つの見方として、創作物が時間の重圧に耐えて残るかどうかという見方があると思います。今回は、この展覧会で紹介されている画家がなぜ後世に残る絵を残せたのか、「時代を超えてつながるもの」になりえたその秘密をすこし探っていきたいと思います。
ミレーの農夫とイギリス王朝の肖像画
この展覧会でわたしが「一番いいものをみた」と感じたのルドンでもロートレックでもなく、ミレーの<<ミルク缶にみずをそそぐ農夫>>でした。一見すると地味です。描かれているのも農村の一風景です。しかしこの絵は観れば見るほど、不思議な存在感を感じるのです。そこには現代アートにみられる奇抜な斬新さはみられないのですが、確かに心打つものがある。
絵画表現の面白しろさは、スタイルに関わらず真実・美を表現できれば、モデルやスタイル、流行に左右されず名画になりうるところにあるのかもしれません。わたしはちょうど、上野の森美術館で開催されているイギリス王朝の肖像画の展覧会「KING&QUEEN展」を最近見たので見比べることができるのですが、イギリス王室の肖像画に描かれる王族をモデルにした一枚と、ミレーの描く農村の農夫をモデルにした一枚は絵画としての存在感でいえば差はないように感じられました。ミレーの描く絵画には、ただ「ある」ということへの肯定を感じます。観る人がみれば宮殿の王族も農村の農夫も人間存在としては同じように価値のあるものなのかもしれません。
農夫の絵を描くことから、ミレーはきっと真面目で暗い人間であったのだろうと考えがちです。私もそうでした。しかし、実際はかれは、最初から農村を描いていたわけではなく、美しい女性たちや裸婦像や都会といった華やかな主題を描いていたそうです。それが、当時全く世間的に評価されいなかった、それゆえ誰も見向きもしなかった農村を主題に描き始めます。これは、当時の画家の世界において流行に反するようなものでした。うけがよくない。しかし流行とはすぐに流れゆくものです。彼は、流行に便乗し自分をごまかすことではなく、自分が感動したもの、いいと思っているものを描く対象にする決断をしたのです。そして、のちの世に残った名作がどちらのタイプの作品だったかというと、農村をモデルにした作品でした。
セザンヌとミレー
セザンヌはミレーと同じ主題も描いていてこの展覧会で鑑賞もできます。<<座る農夫>>という絵画です。わたしは、セザンヌが描く花や果物を主題にした絵画よりも、すこし弱い印象をうけました。もしかしたら、ミレーの<<ミルク缶にみずをそそぐ農夫>>を先に観てしまったからかもしれません。セザンヌの農夫がダメだったというより、ミレーの農夫がすごすぎたのです。
世界について人が感動するとき多くは記憶が関係し、その記憶の中でも子供時代の記憶はよくもわるくも大きなウェイトがあると私はよく思います。ミレーは農家の出身で、セザンヌは銀行家の出身です。人を主題に描くとき、とりわけ内面が十分育った大人を描くとき画家のモデルの人間性への尊敬や愛情がカギとなりそれをいかに表現できるか、が重要になっているようにわたしは思います。
一方で、彼の<<リンゴとテーブルクロス>>はやはり素晴らしかったです。
ところで、セザンヌは今日では印象派に影響を与えた芸術界の巨匠という位置づけですが、かれが画家として名声を得たのは彼の人生後半ですです。30代では展覧会で落選し続け、40台にしてようやくちらほら、評価されはじめた遅咲きです。ただでさえ、画家という仕事は孤独な厳しさがあるのに、なかなか評価さない、評価される確証もない中で、落選し続けた30代を乗り切った彼の折れない信念には驚かされます。
ゴーギャンの覚悟
興味深い経歴をもっているのは、ミレーやスザンヌだけではありません。印象派が興隆した少しあと、ゴッホや他の多く巨匠に影響を与えた巨匠ゴーギャンは、実は芸術とは正反対の分野である金融業界に身をおく証券マンでした。彼は35歳にして画家になる覚悟をきめ画家へ転身したのです。
彼は営業マンのままいれば生活は安定していたことでしょう。しかしかれは自らの信じるのものに従い画家になる挑戦をしました。そこには覚悟のようなものがあります。新しいことをすることにつきものの苦痛や、失望を受け入れる覚悟です。
ましてや30代半ばの頭の回転がはやい、言い換えれば、愛よりコスパに偏りやすい証券マンであった彼がコスパとは対岸に位置する画家になる決断したことに驚きを感じます。
ここにきてどうやら彼らが「時代を超えてつながるもの」を残せた理由として共通するものが見て取れます。それは、信念と勇気です。
信念と服従
ドイツの心理社会学者エーリッヒ・フロムは著書『愛するということ』のなかで、信念を論じています。彼によると信念には二種類ああり信念と根拠なき信念の二つに分けて考えました。
フロムは’人間には可能性があるので、適当な条件さえ与えれば、平等・正義・愛という原理に基づいた社会秩序を打ち立てることができる’という信念を人が持てなければ、人は権力に服従してしまうと論じています。この手の人が権力に対していだいているものを「根拠なき信念」としています。一見すると権力のほうが根拠がありそうにみえますが、歴史をみれば権力はいつの時代も案外不確かなものであるという事実からこのような表現になっています。肝心な点は人間への信念のなかに自分自身も含まれていることです。
彼らが画家として表現しているものは彼らが見出した世界(人間を含む)への感動であり、絵画は彼らが世界を「愛すること」をした結果生まれたものです。しかし、それができたのは自分自身の可能性をまずは彼らが信じていたからです。これは、相当に勇気がいるはずです。苦痛や失望を受け入れる覚悟です。
ミレーもセザンヌもゴーギャンも各々が人間存在の可能性への確信の信念を持っていたのであり、それをもつにたる勇気をもっていたからこそ、流行や世間体、安定やお金、権力への服従への誘惑に屈することなく名作を生む仕事ができたのです。
今回の投稿で「なぜ、巨匠は名画を残せたのか」という問いにを戻します。彼らは、人間存在の可能性を信じ、勇気をもっていたからというのが私の答えです。「時代をこえてつなぐもの」が残った秘密には画家の人間の本質への信頼と心構え、勇気があったのです。
どこかの少年漫画雑誌のスローガン、もしくはアニメのテーマのようですが、本当にいいものを創る「仕事」に従事するために、もしくはそこに至るためには、人間として必要な気質や能力も、実は、同じなのかもしれません。
ルドンのグランブーケ
最後に、ルドンの<<グランブーケ>> を紹介して締めくくりたいと思います。この絵をを見たとき、人間はこんな美を生み出せるのかと改めて驚きました。彼も画家としての評価は40代後半あたりからでセザンヌ同様遅咲きです。その間、信念を捨てる誘惑、自分への信頼をすて権力に服従し生活するという誘惑がどれほどあったことでしょうか。
しかし彼は、信念を勇気で支え仕事をしてきたわけです。この絵をみながら彼の乗り越えてきた苦痛、失望、を思うと、この絵の美しさの奥行が増す気がするのは私だけでしょうか。(これは展覧会出口にあったコピーです。実物はもっと美しいので興味があるかたは是非ご自身の目で味わうことをお勧めします)
以上、「時代を超えてつながるもの」になりえたその秘密についての拙い考察でした。お付き合いありがとうございました。
「1894version ルドン・ルートレック展][開催期間]2020/10/24(土)~2021/1/17(日)[日時]開館時間10:00〜18:00主催 : 三菱一号館美術館、日本経済新聞社後援 : 在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本協賛 : 大日本印刷 企画協