琳派と印象派 

「琳派とし印象派 東西と都市文化が生んだ美術」展入口風景

東西と都市文化が生んだ美術

@ARTIZON MUSEUM

こんにちは、matsumoto takuya です。今回はアーディゾン美術館で開催されている「琳派とし印象派 東西と都市文化が生んだ美術」展をとりあげます。

琳派とは江戸時代に琳派とし印象派絵画を創作していた人たちが個人的な尊敬によって引き継がれていった装飾的な美術が特徴とされてる人たちのことです。一方で印象はヨーロッパ(18世紀前後)における古典的な絵画表現からより個人の感動をメインに絵画創作を行っていた人たちのことで、こちらは装飾的な要素より、個人の感情や感動に主軸が置かれている点で琳派の装飾的な特養とは対照的です。どちらのグループも活動していた当事者は「琳派」とも「印象派」とも自称していたわけではなく、のちに学者によって名付けられたようです。

近い時間軸と都市という環境の中で、東西という地理的視点を持ちながら比較でき、東西の名画をより深く鑑賞できるとっても贅沢な展覧会となっていました。

「展覧会名琳派と印象派 東⻄都市文化が生んだ美術」展公式サイト

今回は、東の果て、江戸時代に活躍した「琳派」という、謎めいた集団を少しだけ探っていきます。

以下内容を少し含みます。

不思議なグループ「琳派」

興味深い点は、彼らが琳派と呼ばれるにいたった経緯です。江戸時代後期の絵師、酒井抱一が尾形光琳の絵画にほれ込み私淑し、親炙すること「琳派」の系譜は歴史に姿を現すのですが、琳派の始まりはこうやって共感と尊敬によって自発性によって繋がっていたことに少し驚きました。酒井抱一がほれ込んだ尾形光琳は俵屋宗達の作品にほれ込み、俵屋宗達は本阿弥光悦の作品にほれ込みといった具合に、共感と自らが価値ありと認めたものを支持する活動の結果として「琳派」とのちに呼ばれるわけです。

江戸時代といえば、自発的な関係より士農工商にはじまる身分制が徹底された受動的な関係の時代です。新しい価値を創出する活動は体制を揺るがしかねない目で見られる環境下にあった。そういう環境だと芸術表現も創作というより与えられた型の反復といった「お勉強」の産物で死んだものになりやすいものです。そんな時代背景のなか自発的に関係を築いていった日本人がいたというのは少し嬉しくもあります。

同時に、琳派と呼ばれる人たちの作品がなぜ今を生きるわたしたちに国を超えて支持されいるのか納得できました。心とは自発性によって現れるものです。自発性なくして心とはよべない。彼らの作品には自の心が動機となり、それが作品に込められているから時代も国もこえて観る人に何かしらを感じさせるのだろうとわたしは思います

例えば、尾形光琳<<孔雀立葵図屏風>>からは尾形光琳がの孔雀への眼差し、が見事に表現されていました。描く対象になんの感動も愛も抱いていなかったら、このような高貴さ、品、生き物の持もつ秘められたエネルギーなどは表現できませんし、心でとらえた主題が生きるような絶妙な余白や色彩の構図を決定できなかったと思うからです。

ここには愛があります。内実といってもいいし、誠実さとも呼べるかもしれません。酒井抱一は周りに評価されているから尾形光琳の絵をいいと思ったのでなく、自分が喜んだから尾形光琳の絵は良いのだという精神的な価値に基いていて、その自らが良いと思った絵のエッセンスを引き継ぎ発展させていった

個人の共感によって結び付けられ引き継がれたものが「琳派」と呼ばれるに至ったわけです

琳派とロック

私はロックが好きで、とりわけUKロックと呼ばれるジャンルが好きです。UKとはイギリスのことで、ビートルズが有名ですね。このロックは、誰からの強制もなく、自発的に引き継がれています。好きな曲を好きだから知りたいと思い、最初はまねることから創作していく。そしてその人が作った曲に、誰かが感動しまた、、、といった具合に引き継がれていく。個であるのに、確かな絆がある。茶番ではないそういう関係で引き継がれたものをわたしは本物の文化だと思います。

そこにはロボットのような表面的な人間関係でなく人間ならではのつながりを感じます。個人の精神など御法度の江戸時代という時代背景のなか琳派のひとたちはまさに「ロック」な存在だったといえます。

絵画の働き

絵画の場合、描き手の「眼差し」が表現に反映されます。それは心に起因し、唯一無二です。完全に誰かの眼差しと一致することはないので孤独なのですが、画家にその絵を描かせようとした動機は世界の何らかのものへの感動であり共感です。鑑賞者がその名画をいいと思うのはその絵に程度はあれど感動しているからです。作家の心と鑑賞者の心の共感です。

琳派のエピソードは、本物の絵画とは何なのかということを教えてくれます。絵画は自己完結的なものではなく実は人と世界(その中にひとがいます)との繋がりなのだということが分かります。わたしはこのことは絵画のみならず芸術全般にいえることだと思います。

現代はロボットのような利害関係や表面的なつながりが多くなっていて、そもそも自分自身さえ物(商品)のように扱いがちです。外から見て価値のあるように人格をパッケージ化し感情を標準化し、相手もそのように選びがちです。それがビジネスのみならず私的な領域に蔓延している。婚活市場が煽ってくる広告をみていると特にそれを感じます。そこには「心」がありません。まるで人からどう見られたいかという、幼いナルシシズム、さもしいビジネスライクがデフォルトのようです。

今の日本では特に下火の芸術は、実はそんな私たちへの処方箋といえるかもしれません。

今回はこの辺で、お付き合いありがとうございました。

「展覧会名琳派と印象派 東⻄都市文化が生んだ美術」展

[会期]2020年11月14日[土] – 2021年1月24日[日]*本展では展示替えがあります。展示期間をご確認のうえ、ご来館ください。

[開館時間]10:00 – 18:00 (毎週金曜日の20:00までの夜間開館は、当面の間休止を予定しています。最新情報は本サイトをご確認ください)*入館は閉館の30分前まで

[休館]日月曜日(11月23日、1月11日は開館)、11月24日、年末年始(12月28日 – 1月4日)、1月12日

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