開校100年、きたれバウハウス

―造形教育の基礎―

@東京ステーションギャラリー

先日冬物が入っていいるクローゼットをたまたま開けたら、大事なアウターが薄っすらかびてました。はやく梅雨があけてほしいです。

こんにちは、matsumoto takuya です。今回は東京ステーションギャラリーで催されている『開校100年きたれ、バウハウス』展について書いていきます。

バウハウスってなんなんだっけ

今回このギャラリーに顔を出そうと思ったのはパウル・クレーがバウハウスにて教鞭をとっていたからです。もしかしたらまだ見たことのない彼の絵がみれるかもしれないなーくらいのものでした。

ところで、バウハウスってそもそもなんなのかわからない、なんとなく教育機関で昔教科書で、集合団地みたいなものを残した学校みたいなことをちらっと耳にしたくらいだ。なんなのかわからない、けど、とりあえず、なんかおしゃれだ。どういうところがおしゃれなのかと聞かれれば、カタカナでおそらく英語ですらない、、、なんかその、、、っぽいからだ、、、夏目漱石がみてたら「ハイカラ」と呆れられるだろう。

そんなこんなで、バウハウスってなんなのかわからない。という軽い気持ちで展覧会に足を踏み入れていきました。

全てはヴァルター・グロピウスの言葉の中に

「すべての造形活動の最終目標は建築である。」

by ヴァルター・グロピウス
開校100年、きたれバウハウス:no.1 ヴァルター・グロピウス 『バウハウス宣言』解説文 より引用 

入館して早々、上記のヴァルター・グロピウスの言葉が含まれたバウハウスの説明がなされています。どうやらこの学校は、造形学校であり、ものつくりの教育機関として1919年にヴァルター・グロピウスが開校したそうです。

1933年ナチスの弾圧を受け閉鎖されます。このわずか14年の短い活動期間に終わった経歴をもちます。しかし、このわずかたった14年で世界中の建築、広告等のデザインに途方もない影響をあたえたそうです。造形学校はどちらかというと、ある目的のための造形されるデザイン技術者を育てる教育機関です。グロピウスはバウハウスには既存の古典的な芸術を締め出したく、当時の前衛的な芸術をとりれようとしたそうです。

感慨深いのは、昔のドイツ国家が全否定した教育機関であるバウハウス、そのバウハウスを再評価する意味合いがある当該展覧会の後援がドイツ連邦共和国大使館というところです。その時代の持つ価値観は覆しがたいほどの力があるよう思いこみがちですが、真実の姿は、暫定的、相対的なうつろいやすい不確かなものなのだと考えさせられます。

デザイナー教育に時代を代表する芸術家が指導にあたる

二つ目の展示群はバウハウスの教育について展示されていました。バウハウスが行っていた最も個性的な部分はここにあるようです。ヴァシリ―・カンデンスキー、パウルクレーなど時代を代表する芸術家がどのように指導していたか授業内容を紹介しています。カンデンスキーの『分析的デッサン』はとてもロジカルに風景から幾何学を抽出する方法を教えられていたことがみてとれますし、『紙による素材演習アルバースの授業』では紙から円のフォルムを利用して立体を作る演習をのぞけます。

『アリー・シャロン』(生徒)等の残したっこの演習作品は、当時バウハウスに留学していた水谷武彦が後年、自身がバウハウス教育を紹介する中で彼が作った解答例と比較ができるのでおもしろい。アリー・シャロンの解答例がいかに柔軟でシンプルであったかがわかります。

そしていよいよ、パウルクレーの授業内容を拝見です。、、、結論から言うとよくわかりませんでした。幾何学模様、それっぽい命題のうちにだされる課題。わたしがついていけないのはおいといて、生徒たちも、クレーの表現方法それゆえの難解なクレー独自の言葉遣いに振り回されていたそうです。想像すると少しおもしろい。最終的にはクレーの絵を通して生徒は理解していったとまとめられていました。このエピソードをを知った後に、改めて、自身の教室に腰をかける聡明で神経質そうなクレーの写真をみるとなんだか以前より身近に感じられました。この発見がこの展覧会で、一番人間味ある部分だったかもしれません。

ファインアートと応用芸術 その1

この展覧会を見て回っているうちに、わたしのなかでもやもやするものが溜まっていきました。うーん、これって造形だけど芸術ではなくない?というもやもやです。そこでその点を掘り下げてみたいと思います。

感動を引き起こす力をもった芸術作品は技術をただマスターしたからといって作れる代物ではないのだということが改めて分かります。この展覧会で感じる面白さは展覧会というよりは展示会(例えば新築展示会)のような感じに映りました。デザインは応用芸術であり、そもそも何か実利的な目的をかなえるための手段や方法です。ギブアンドテイク(経済原理)の要素が強いのです。

一方で、実利的な目的や制限からはなれて主体的に生み出されるののが芸術です。ここらへんの定義がしっくりこないのでざっくりWikipediaをのぞいてみると、芸術的価値を専らにする活動や作品をさす概念はファイン・アート(fine art)といそうです。わたしのもやもやはこのあたりにあるようです。まだ、すっきりしません、、、。

ファイン・アートと応用芸術 その2

ファインアートみついてすこし深堀するためにざっと芸術の歴史を調べてみると、

芸術の起源は、”「建築物、家具、食器、衣類などへの装飾」”でした。その後文化の発展に伴い絵画、彫刻等が元の建築物等から独立していきました。つまり、”「装飾性が実用的機能と切り離され」”て制作され発展した結果、装飾性は芸術性に格上げされたそうです。

*wikipedea:ファインアートより一部引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88

応用芸術という言葉は少し誤解を招く言い方なのかもしれませんね。

バウハウスを造形学校、技術者の教育機関であり主軸はデザインにあるのだということが改めて整理してこの展覧会を振り返ると、しらけることもなく、むしろバウハウスの芸術にたいする敬意や旧態依然に果敢に挑む創造者、実験精神といった面が際立ちます。なるほど、だからこそ新しい発想や面白いデザインが生まれてたのだな、と納得できました。

最後に、冒頭のグロピウスの言葉に戻っておわりたいと思います。

「すべての造形活動の最終目標は建築である。」

by ヴァルター・グロピウス

とあります。わたしはこれをちょっといじっちゃいたくなります。「造形活動の目標は建築である。もちろんすべてでも最終ともいいきれない」

とはいえ、彼らの新しく何かを生み出そうという姿勢とその結果には驚愕です。既存の社会規範から新しく理想を持ってそれを打ち出したことはすごい。必ず猛烈な向かい風にあったはずです。このような社会活動をしてきた人の勇気には脱帽です。そしてわたしも彼らと同じ人間の一員なのだと思うと誇らしくおもえます。

デザインや芸術、教育関係の人でなくても、何かをしたいのに壁を感じている人ならば、是非ともお勧めしたい人間の熱量・輝き・活気の余韻がただよう展覧会でした。

「開校100年 きたれ、バウハウス‐造形教育の基礎‐」
開催期間:2020年7月17日(金)~9月6(日)
開館時間:10:00~18:00(入館は17:30まで)                            
休館日 :月曜日(8/10、8/31は閉館)                             
会場:東京ステーションギャラリー TOKYO STATION GALLERY
主催:東京ステーションギャラリー[公益財団法人 東日本鉄道文化財団]、バウハウス100周年委員会                                              協賛、協力等: 

[後援]ドイツ連邦共和国大使館、スイス大使館、ハンガリー大使館、一般社団法人 日本建築学会   [特別協力]ミサワホーム(株)、東京国立近代美術館                       [協力]専門学校 桑沢デザイン研究所、大阪芸術大学、(株)アトリエ 二キティキ         [企画協力](株)アートインプレッション、(株)ミサワホーム総合研究所 [協賛]アウディ ジャパン(株)、株式会社インターオフィス            


『開校100年きたれ、バウハウス』展公式HP

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。