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cinema review
こんにちは、matsumoto takuya です。今回はBunkamura ル・シネマで上映中の映画『パヴァロッティ 太陽のテノール』をとりあげていきます。
この映画は、オペラ界テノールの巨匠パヴァロッティの伝記的映画で、『ダヴィンチ・コード』などで知られるロン・ハワード監督の作品です。
一言でいうと、素晴らしの一言につきます。映画館を出るころには、こころがぽかぽかしていました。音楽好きのみならずオペラを知らない人にもおすすめできます。ちなみに、わたしはオペラについてサイゼリアで流れてるBGMくらいの知識しかない人間です。
今回は、マエストロ・パヴァロッティという魅力的な人物を探っていきます。
以下内容を含みます。
オペラを冷めた目で見てきたわたしが
わたしはこの映画を観る前まではオペラを真面目に鑑賞したことが一度もありませんでした。正直な話、アクセサリーとして芸術を身にまとうタイプの富裕層の懐古趣味、というステレオタイプのイメージがわたしの頭にこびりついていて、どこかそういう人たちとは距離を置きたいような閉じこもった姿勢でいたからです。
そんなわたしがいうのは変であることを承知の上で、パブロッティ―の歌は間違いなく極上だということです。そう言ってもおかしくないほど、彼が歌うシーンはオペラ未経験者のわたしの胸を打ったのです。なぜ、タイトルに「太陽」が含まれているのか理屈ではなく心で納得できました。歌声が空間を温かく包み込み、心の深いところまでいきわたってくるような感じといえばいいのでしょうか。
一体彼の歌からほとばしる温かさはどこから来るのか気になります。
「太陽」という形容詞とパヴァロッティ
わたしが注目したのは、彼が誰に対しても全くもって自然体であるところです。まるで、子供のような自然体さなのですが、ユーモアあふれる配慮ができるちゃんとした大人なのです。人にたいして恐さを抱いていないように見えるパヴァロッティですが、映画ののインタビューシーンで「人を無条件で信じているというが、信じられなくなったらどうするのですか」という質問にたいして彼は、茶目っ気たっぷりに
「冗談だろ?」
「それっじゃあ生きられないよ」
と返しています。歌唱の超絶技術のほかに、大人になっても「人を無条件に信じることができること」が、彼の歌声に温かさを生む土壌をこしらえているように思います。信じてもらうのは誰だって嬉しいですし、嬉しいと身体もほぐれてより開かれた姿勢で鑑賞できるからです。
この映画を見ていると信じることが愛することなのだ、ということが理屈抜きにわかります。彼が画面に現れるだけでなんだ心が明るくなる。そういう意味でこの映画タイトルは「テノール」抜きの「太陽のパヴァロッティ」でもよさそうなくらいです。これだけの人間力があれば、オペラ歌手にならずに小学生の先生をしていても、公私ともに充実した人生を送っていただろうと想像できます。
大人がもう一度「信じること」ができるには
こうやって、愛のある関係を築き上げながら生きたいと思わない人間はいないはずです。しかし、彼のように無条件で人を信じられない人は少なからずいます。私もその一人で、信じられたとしてもその人との信頼関係の度合いによります。もちろん私が彼よりも未熟であることは明らかですが、人にはひとりひとり事情があり、信じることが時に難しい人もいます。しかし、この映画というか彼から学べることもあると思います。
一体どうしたら、大人となった今現在の「私」が「人を信じられる」ことをもう一度信じられるようになるのでしょうか。それは、理屈でなく人と人との関係から得られる喜びの感情によって可能になると思っています。「人と人との関係」といういいかたをしたのは、狭い意味での人間関係だけではなく、本や漫画などの作品を通して間接的な関係も含むという意味を強調したかったからです。
例えば、この映画で彼の歌に感動し、彼の人生観に部分的に共感できました。なんだか嬉しいと思えることで、ひとはやっぱり良いものなんだな、と思える。音楽、劇、映画等は芸術(もちろんサブカルもです)に含まれますが、芸術の働きは「人はやはり信じるに値する」と感じさせてくれるところにあるのではないかとわたしは最近考えます。
ビジネスでもいいのですが、どうしてもビジネスは経済原理の支配下にあるので、心よりもドライな理性が優位にたち、ビジネス関係で利害からはなれた喜びに出合えることはなかなか期待できるものではないからです。
はじめに信じるべき人
パヴァロッティは「人を無条件で信じる」以前に誰よりも自分自身を信じているたように思えます。でなければ、オペラとポップ、ロックのコラボという当時は市民権がなかったことはできなかったでしょう。この点からあえて誤解を恐れずいうならば、人を信じること、愛することができることは、まず一番身近な人、つまり自分を信じることを前提にしているのかもしれません。
こういうととても簡単なことのように思えますがが、わたしはなかなかこれが身につかない。大人の自己肯定感ともいえるものは、幼少期の環境の影響は避けられないのではないかなどなど、あれこれ理由をこしらえ弱気になってしまう。
考えてみれば、ほんとのところ自信なし、好きな物なし、「カオナシ」状態であったわたしが、美術館や文芸に近づいていったのは、名作に触れて共感し、人も捨てたもんじゃないなーと思えることで、同じ人間というくくりで自分を捉えなおすことで、自分を信じることを助けてもらっていたのかもしれません。
「パヴァロッティ」と「人生」と「オペラ」と
話を映画について戻します。パヴァロッティは晩年に彼がオペラを久しぶりに公演し、高音(ハイCというそうです)の出来が悪いと辛口の評価を受けます。それに対して、音楽愛好家が馬鹿にしがちなロック界にいるシンガーのU2のボノの言葉には感動しました。だいたいで申し訳ないのですがこんな感じの言葉でした。
「(パヴァロッティの歌が劣化したと評するオペラ通の多数派に対して)(筆者補足)彼らは「歌」をわかってるのか?よく聞くことができれば、今の彼の歌声には人生を経験したからこそ歌える歌声がある」
映画『パヴァロッティ 太陽のテノール』とより引用
確かに人生には、快活さの他にも失敗や苦悩、喪失があります。そして、仮にオペラが人間劇であるなら、ボノの発言は身内びいきではなく的を得ているとわたしは思いましたし、そのオペラでの彼の歌唱は憂いが入る分よりふり幅がまし、深みをもった調子がでているように思いました。
パヴァロッティについて知ることは人間の人生について知ることなのだ、という考えが頭に浮かびました。そしてオペラは人生を様式美で表現したものだそうです。人の人生を芸術として対象化することについては私は一歩引いた姿勢ではありますが、彼の伝記であるこの映画は、広義のいみで「オペラ」だといえるのでないかとわたしは思います。
今の日本で生きているからこそ
この映画は、音楽好きのみならず、世知辛い今の日本で頑張って生きているひとに、太陽のように温かさを届けてくれる力を包み込んだ素敵な映画でした。
『パヴァロッティ 太陽のテノール』
[監督]ロン・ハワード
[配給]ギャガ