『鬼滅の刃』からみる自分らしさを取り戻す方法 その5 自分を取り戻すための「アティチュード」

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こんにちは、matsumoto takuya です。今回も前回にひきつづきシリーズ「『鬼滅の刃』からみる人生を後悔しない方法 その4」をおおくりします。

前回の投稿で、後悔しないには、煉獄杏寿郎の遺言のように「自分の心のまま正しいと思う道をすすむ」ために自分らしさをとりもどすことが不可欠であり、それは「理にかなった信念」を深めていくことで再び得られることをみていきました。しかし同時に、自分を取り戻すためにはあるものが欠かせません。

今回の投稿では、この「あるもの」について探っていきたいと思います。

自分を取り戻すための姿勢

ここまで、「私」を取り戻す過程をみてきました。その過程で、私たちの中で「理にかなった信念」と「根拠なき信念」の二つの信念が綱引きしている状態になっていることを示し、いままで多数派である、という理由だけで盲目的に従っていた内容を、自らの経験や感性や考えや、客観的な証拠に照らして吟味することを繰り返すことで、情報を判断する力、気持ちへの洞察力などがたかまり、「私」が再確立されていくことをみてきました。

しかし、すぐに答えが分かり結果があたえられるような安っぽちい内容ではないだけに、外から分かりやす指標を与えられてないなかで試行錯誤していくことは、簡単ではないかもしれません。

主体をとし戻す過程に起こる心理状態の説明するためのイメージ。「根拠なき信念」と「理にかなった信念」の綱引きイメージ

自分らしさを見失っている人が自分らしさ取り戻すにはある態度が必要となってきます。それは勇気です。

勇気は親からの庇護がなくなり大人になってからこそ必要とされるものです。「私」として生きていくほど勇気が試されるものはないからです。これは誇りの感情なのですが、こだわるという意味でのプライドではなく矜持のほうの誇りの感情です。

「自分らしく生きよう」と決意したもののくじけてしまいそうになるということは、おそらくどんな人にも訪れます。逆境にあるとき、「私」として踏みとどまるにはこの勇気をもてるかどうかにかっているのです。

 『鬼滅の刃』で炭次郎が自分らしく活躍できているのは自らの「理にかなった信念」にささえられていると同時に、この勇気によって「理にかなった信念」を支えているからです。

ところが、勇気をもってなにか表現することが「いきっている」イメージほうに大きく入り込んでいるイメージをわたしは感じます。日本にいると、どうもこの勇気を実社会で示す以前にくじかれている気がするのです。

勇気への引け目の歴史

外国にある程度の滞在経験があると、今までまったく気付かなかった母国の雰囲気を、自覚する人は多いと思います。そうでない場合も、例えば芸術作品の傑作に、時代の雰囲気の特徴を垣間見ることができます。

例えば、村上春樹氏の小説で主人公の多くは個人としての無力感と虚無感、無意味感をかかえています。1990年代後半あたりでは、庵野秀明氏の『新世紀エヴァンゲリオン』でも、説明も何もなしに一方的に高次の権力者に、命令、コントロールされ、反抗できずに翻弄される少年が主人公です。同じ巨人ものでいえば、2010年前後からはじまった『進撃の巨人』もそのような世界観がベースとなっています。無力感、無意味感、諦め、一つ上の力にたいしてされるがままにひれ伏すイメージです。

程度の差はあれ、権力を持つ割合の多い上の世代の空気に下の世代は影響をうけます。日本で多くの共感をうみ、大ヒットしたこれらの傑作から見えてくることは、世代によって細かい違いはあるにせよ、全体的には、この諦めと個人の無力感、虚無感、長いものには巻かれなさいという雰囲気が社会の背景としてただよっていると感じている人が相当数いるということです。

今の日本の雰囲気の出どころは、1960、70年代におこった全共闘などの学生運動の挫折や、新左翼の行き過ぎた活動がもたらした「内ゲバ」事件、とどめには、自らした言動に責任をとるということを示した「三島由紀夫の自決」が影響している可能性を見出せます。

当時、市街で暴動をおこし体制反対をとなえていたのに、旗色がわるいとなると体制側に寝返り、あっさり体制側の大企業に入社し、なんの葛藤もなくスムーズに働くということは、図らずも「さしたる主張がなく、閉鎖的な日本での鬱憤をはらしたいだけだった」ということを証明するかたちとなったこと。

当時あれだけ、市街で暴動をおこし体制反対をとなえていたのに、旗色がわるいとなると体制側に寝返り、あっさり体制側の大企業でなんの葛藤もなくスムーズに働くということは、図らずも「さしたる主張がなく、閉鎖的な日本での鬱憤をはらしたいだけだった」ということを証明するかたちとなったこと。

ついで、「三島由紀夫の自決」が暗に含む「失敗は仕方ないが、自分のした言動の責任も取れないほどしょぼいのか?」というようなメッセージと、かれのとった突飛な行動もなおさら、自分らしく生きる勇気にたいして素直に評価できない空気感、勇気なんていらないから窮屈でも目をつむって多数派となって安堵する閉じた姿勢を正当化しやすい空気感を日本に残してしまい、今日の日本でも相変わらず漂っているのではないかと考えられるのです。

ついで、「三島由紀夫の自決」が暗に含む「失敗は仕方ないが、自分のした言動の責任も取れないほどしょぼいのか?」というようなメッセージと、かれのとった突飛な行動もなおさら、自分らしく生きる勇気にたいして素直に評価できない空気感、勇気なんていらないから窮屈でも目をつむって多数派となって安堵する閉じた姿勢を正当化しやすい空気感を日本に残してしまい、今日の日本でも相変わらず漂っているのではないかと考えられるのです。

どこか虚無的な、「どうせ自分がどうこうあがいたところで、結局なにも変わんないんだ」という気だるさがデフォルトになってしまっている。過去の、「自分らだまって閉じた環境で勝手に大事なこ決めてそれを押しつけるな」という異議申し立ての試みが失敗したというより、その後にとった節操のなさの歴史が、勇気にたいしてやや斜めにみる雰囲気、問題となっているものに目を向けずに距離を取ったまま傍観する姿勢、社会でおきている問題に蓋をしてみないようにする、という日本で時代をまたいで漂っている空気に影響を与えなかったとは言い切れないとおもいます。コロナ禍により若者の節操のなさを指摘するような風潮がありますが、この節操のなさは今にはじまったことではないということです。

勇気への誇りの歴史

このような日本の雰囲気とは対照的なのが今の台湾です。

台湾は1987年まで戒厳令がしかれた独裁体制でした。それが、1990年の野百合学生運動からはじまり、2014年のひまわり学生運動では自由を内容に含む要求を立法院に認めさせた成功経験をもちます。「上から一方的に与えられた命令に従うのではなく、多様な意見を示し、共通の価値観を生み出せることが可能である」という実感は、台湾の市民に自発的なビジネス・文化・社会貢献といった市民ひとりひとりの活動を活発に促しています。

台湾は1987年まで戒厳令がしかれた独裁体制でした。それが、1990年の野百合学生運動からはじまり、2014年のひまわり学生運動では自由を内容に含む要求を立法院に認めさせた成功経験をもちます。「上から一方的に与えられた命令に従うのではなく、多様な意見を示し、共通の価値観を生み出せることが可能である」という実感は、台湾の市民に自発的なビジネス・文化・社会貢献といった市民ひとりひとりの活動を活発に促しています。

社会の多様性をどんどん進めていくなかで、政治家系出身でもない女性の総統(日本における総理大臣)である蔡英文(ツァイ・インウェイ)を選出するにいたっています。彼女は既存の枠組みにこだわらず有能な人材を登用し、デジタルを駆使して双方向のやり取りを重視しており、ありがちな権威主義におちいらない姿勢と、実際の行動などが注目されており、中国のおまけであった台湾の存在感は日増しに世界で増し続けています。

日本の雰囲気とは反対に、一人一人が勇気をもって多様な意見を示し、そのために傾聴の必要性を認識しているアクティブでオープンな雰囲気と「自分たちの意見や理念は自分たちで決めたい」という権力の従属物化を拒絶する矜持がみられます。これが、実際に中国からの独立への挑戦というかたちで行動に示されています。台湾は日本がアメリカという大国に頼ることと同じように中国の看板のうしろに隠れていたい誘惑はかなりつよいはずです。この違いはどこからうまれたのでしょうか?

分岐点のひとつの要因

最近亡くなった台湾最後の独裁政権の総統であった李登輝が1990年に起こった野百合学生運動にたいして、どのような態度をとっていたのかがわかるのが次に引用した文章です。

学生たちは国民大会(当時、立法院とは別に存在した民意代表機関)を改革したいと訴えていましたが、実は李登輝も同じような考えを持っていたことがわかりました。「私はあなたたちより年上で様々な経験をしてきた。だから私の言うことを聞きなさい」というような高圧的な態度では決してなかったからです。

李登輝は学生たちと平等な立場に立って対話していたので、座り込みをしていた学生たちには、「自分たちが民主化のプロセスに参加している」という達成感がおそらくあったと思います。事態はそれほどすぐに改善したわけではないのですが、学生たちは少なくとも「自分が参加したことによって、少しずつ変化が起き始めた」という実感を持ったのだろうと思います。

オードリー・タン『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』 株式会社プレジデント社

個人が意見を出し合うだけでなく、権力をもった独裁側の人間が「「私はあなたたちより年上で様々な経験をしてきた。だから私の言うことを聞きなさい」というような高圧的な態度では決してなかった」、という部分はかなり意外です。これは、まさに対話の場が現れる前提の一つであり、わざわざ上の立場の人間が意思しないかぎり用意できない姿勢だからです。

というのは、日本では、表面的は民主主義をたてていますが、自分の立場が少しでも上になると露骨な発言はないにしろ「「私はあなたたちより年上で様々な経験をしてきた。だから私の言うことを聞きなさい」という半人前扱いや、上から目線になりがちだからです。政治家は最近は嘘で取り繕うことさえ面倒になってきたのか、「黙って上のいうことに従え」という態度が露骨になってきました。

このような態度をとられては、ことなる意見が出会うことで自分の視点が広がる対話の場が消えうせ、人をしらけさせます。また、一人一人をはなから信頼していない見下した態度を取っていては、官民の信頼関係など先ず期待できないでしょう。そのような態度はいくら表面的に言葉で取り繕っていても感じ取れてしまうものです。人間はそんなにあほではないからです。

年齢、地位にかかわらず、大切だとおもうことのために自らの意見を責任をもって示し、上の立場のものは対等な立ち場を対話に用意する姿勢をとり、問題から逃げずに共通の価値観を生み出すための試行錯誤していくこと。この精神が模範となり、下の世代に引き継がれるなかで洗練されていき、2014年には、当時台湾との間にサービス貿易協定を締結しようとし政府にたいして学生たちがした「ひまわり運動」が実を結ぶ大きな要因だったようです。結果として、「台湾のインフラに中国は入れさせない」という明確な意思表示を実現するにいたります。

オードリー・タンによれば、この時の経験により、台湾の人々は「デモとは、圧力や破壊行為ではなく、たくさんの人に多様な意見があることを示す行為である」ということに気づき、それにより官民の対話が増え「政治は国民が参加するからこそ前に進めるものなのだ」と皆が実感するようになったそうです。行動し、失敗をつみかさねようやく成功し、その成功体験で気づきをえられてはじめて、お勉強の知識をこえて権利や自由という言葉がはらに落ち、身になったということです。

上下関係がある公の立場と、平等である私的な立場、この二つを区別をする能力と、対話の場を用意する能力、上下関係によって委縮せずに意見を示す勇気、これらはみな個人の能力です。このあたりに日本と台湾の雰囲気に違いをうんだ要因があると私は思います。おなじアジアで、同じように大国の圧力があるなかで、自発的と受動的、活発で寛容な社会と冷めていて閉塞的な社会の分岐させるにいたった要因です。

内なる壁

 「私」を取りもどして社会に突っ込んでいこうと決意したはいいものの、舞台となる日本では、社会からみた評価を絶対視する空気感が漂います。たとえ今の生活に、意味ややりがいを見出せていないくても、仕事をしている状態やお金を稼いでいる状態をある程度手放してまで、「私」を取りもどすために時間とお金を使うことはいかがなものかと、いう空気です。この空気におおわれているうちに、せっかく心に芽生えた「なにかを始めよう」、「自分に向き合おう」という気持ちがみるみるなえ萎んでいくようです。

そんなとき、「私」をあきらめた人に相談してしまうと、ちょっとした悲劇がおこります。うえから目線の説教か白眼視をちょうだいしてしまうからです。「いつまでも子供じみたこといってないで(わたしみたいに)「大人」になれ」という内容の説教や諦めの美学です。

しかし、その人の説教がその人の考えというよりは、日本の多数派が意見であり、言われなくてもすでに知っています。その「常識」を実践した結果が残念であったがゆえに、自分を取り戻して自分らしく生きたいと思うに至った人の場合は、なおさらかれらの意見は軽薄に映ってしまいます。自らしごとを生み出している人、主体的に社会に関わっている人は、一概に否定するほどナイーブではありません。

このように社会にでると、今の地位を捨ててまで自分の可能性をあらためて広げていくことや、新しいことに挑戦すること、開拓していくことにたいして、日本の世間の評価はおそろしく悲観的であることを実感する機会が増えます。この空気感が、気持ちを閉じ込める見えない壁のようにそびえたっています。

一方で、「諦める」という言葉はかなり昔から浸透している示唆に富んだ言葉のような気がするのも確かです。ただでさえ自分に向き合い、生き方を軌道修正するには力と勇気を要しますので、不必要な自責は減らしたいものです。そこで、「諦める」という言葉について、すこしみていきたいと思います。

仏様は究極のマイノリティー

「諦める」という言葉は仏教用語からきている言葉です。江戸時代では当時の言葉の大部分が仏教用語からきていることからわかるように、仏教の教えが世界への見方に影響力をもっていました。

江戸時代は、身分制度が合法だったので、権力者であった徳川家にとっては、この制度に反発されたら大変です。そのため、この「諦める」という言葉は、儒教道徳とセットにして、わりとよく使われてきたのではないかと考えられます。また、諦めた結果をみても、生活の糧は身分制度が、精神的な満足、慰めは身分制度と仏教や儒教道徳の権威が与えてくれていました。

しかし、今の日本には中世的な経済・社会構造はもうありません。今の日本で、この仏の教えである「諦める」ことは、自分として感じ、思い、考え意思し行動すること、そうやって社会とかかわりながら活動をすることも、「諦めろ」という教えなのでしょうか?

仏様は、2500年ほど前にインドにいた”ゴータマ・シッダールタ”という実在の人物への敬称です。かれが仏様と呼ばれるにいたった経緯をみることでこの問いの真偽が見えてきます。

仏様は、今はインドがあるあたりの小国の王子でした。そんな彼が、優雅で安楽な城から一歩そとに出てリアルな人々の日常生活を見た時、人々の生活には、悩み、老い、病そして死という苦しみが溢れていることに気がつきショックをうけます。自らの無知を自覚したかれは、一念発起し王族の地位をすて放浪の旅にでます。そのなかで、世界を自らの目でみて感じ考え、様々な試みを自ら実際に行っていくなかで、人間として生きることの神髄を悟ります。その考えが、多くの人の傷ついたこころを癒し、気づきを与えたことで尊敬を集め、それが人から人へ引き継がれていくことで今日の日本にある仏教まで流れつきます。これが、簡略すぎるとの批判を承知のうえで、かれが日本で仏様と尊敬されている経緯です。

もし、「諦める」という言葉が、既存の権力や、世間といった「匿名の権威」に盲目的に服従しろ、という意味であるなら。仏教は存在しません。なぜなら、彼が、王室をでたことも、放浪したことも、新しい考えを他のひとに伝えることも、当時の権威や「世間」からしてみればありえない行為だったからです。

かれはまさしく、「世間」の建前が先行しただけにすぎない「あるべき自分」にとらわれず、多様な視点をもつ人々と実際に接し、世界を自らの目でみて、みずからの感覚、感じ方、思いとを照らし合わせながら既知の教えを吟味して血肉としていったのです。仏様は人類史で自分を取り戻し、自分らしく生きるなかで、社会と関わった偉大な先駆者の一人だったわけです。

彼のしたことや考えは、当時の「世間」からみたら「普通」ではなく、想定外でコスパの悪い「世間知らず」な行為であったはずです。少なくとも、誰もそんなことしたことも、考えたこともないことを実践したのですから。考えを人から尋ねられたときに、彼の意見はマイノリティどころの騒ぎではなかったはずです。彼が自分を信じ、自分らしく生きることを勇気をもって実践したからこそ、その過程があったからこそ生まれた彼らしい言葉に説得力を感じ、共鳴し、彼を手伝いたいというひとが彼のもとにあつまり気の遠くなる歳月をこえて人から人へ伝えられてきたのです。

民主主義も個人主義の発想もない閉鎖的な部落が中心の紀元前4,5世紀(2500年前)に、「私」として生きたることを実践したかれの勇気と度量、そして知性には改めて驚かされます。
 「諦める」とは、盲目的に信じてきたものに光をあて、明らかにするという意味なのです。

「クリエイティブシンキング」と「アドボカシー」

この仏様が実践した考え方をみていくと、先ほどマイノリティ思考で取り上げた「クリティカルシンキング」に加えて「クリエイティブシンキング」という思考法がみてとれます。

台湾デジタル担当政委員(閣僚)で、新型コロナ禍においてマスク在庫管理システムを構築し、世界から注目を集めている人物にオードリー・タン(先ほど引用した人)という人物がいます。かれは、15歳で中学校を中退し、プログラマーとしてスタートアップ企業を数社を設立したのち、33歳でビジネスを引退し、2014年アップルデジタル顧問に就任、現在は台湾政府で政務委員として働いている異才です。

批判的思考というと、人を単に批判することのようにとらえる人がいますが、そうではなく、実はまったく異なります。「クリティカル」とは、決して相手を批判するのではなく、自分の思考に対して「証拠に基づき論理的かつ偏りなく捉えるとともに、推論過程を意識的に吟味する反省的な思考法」という意味です。要するに、クリティカルシンキングとは、物事をクリアに捉えるための思考法なのです。父はこのような考え方で私を教育していました。

 これに対して、母はクリエイティブシンキングを重視していました。クリエイティブシンキングとは、「既存の型や分類にとらわれずに自分の方向性を見つけていく」思考法です。

 母が教えてくれたのはこういうことです。わたしの考えがたとえ個人的なものであっても、その内容を言語で明確に説明することができれば、同じ考えを持った人に必ずめぐり会うことがことができる。すると、私が考えたり説明したりしたことは、単なる個人の考えではなく、公共性のある考えになり、同じ考えや感覚を持つ人が「どうすれば,よりよい生活を送れるか」をともに考えるきっかけになる。いわゆるアドボカシー(社会的弱者の権利や主張を擁護、弁護すること)に発展するというのです。

 このように、両親はともに「子供の好奇心を抑えつけてはいけない」という強いポリシーをもって、私を育ててくれました。

オードリー・タン『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』 株式会社プレジデント社

「クリエイティブシンキング」とは、「私」がどう感じ、それをもとにどう思い、考えか、を説得力のある言葉で社会へ示すことで、社会的弱者の権利や主張を擁護、弁護する活動である「アドボカシー」へとリンクしていきます。「私」として社会とつながっていくということは、けっして絵空事ではなく、人間の成長・発展の過程の延長上にあるのです。

そのような身近な大人の配慮や影響によって彼の才能は、まさに仏様と同じよなプロセスで開花していきます。そして彼も仏様とおなじように「私」を確立させたのち、社会の中で目覚ましく活躍することになるのです。この順番がとても意味深く教訓的な理由は、第5章「歪んだ「正常」への過適応」でとりあげたとおりです。ちなみに彼は、先ほど紹介した台湾の蔡政権が、既存の枠外から登用した人物の一人です。

仏の最後と煉獄杏寿郎の最後

中国の僧ダライ・ラマと同じように、西洋アジア問わず尊敬を集めているベトナムのテクナット・ハンという禅宗僧がいます。かれはアメリカで9.11のテロ後に広まったアメリカ市民間で巻き起こったイスラム圏のひとびとへの不和や不安の感情にたいするアドバイスをもとめられて、ホワイトハウスで講演をしています。

もし仏様が、問題(テロは圧制の一つです)に目をつむり諦めろといっているなら、そのような活動はなかったでしょう。つまり、仏様のいう「諦める」とは、支配欲や消費欲もしくは虚栄心といったナルシシズムにこだわることへの諦観であって、自分の能力である個性を成長・発展させていくことを実現することや、活動することを個人に諦めろと言っているわけではないのです。かれらの実践していることはむしろ逆の行動です。

「サイの角のようにただ一人歩め」という言葉があります。これは、仏様が臨終の際に、弟子に残した有名な言葉です。サイ(動物のさいのつのは一本だけです))の角のように、これからは自分の目でみて考え、それをもとに決断し、自分の足で自分の人生を歩いていきなさい、というような意味です。ここでいう一人とは、他人との連携を否定している意味ではなくて、精神的な意味で群れるな、精神をすてて何らかの権威に盲目的に服従するなするなという意味です。これは、まさに精神の自由と同義です。

一見厳しいようにみえる仏様の言葉は、自分を尊敬する弟子たちに「あなたたちはもう十分無力ではない、もうこれからは私に縛られることなく、あなたらしく成長し生きなさい」という遺言だったわけです。それは、仏様が人生を通して、実践したことでもありました。彼は、弟子を切り捨てたのではなく、「信じてる」という内容を伝えることにより、教条化してしまい不自由になりがちな立場にある弟子を自由にしたのです。

『鬼滅の刃』の鬼滅隊の炎柱、煉獄杏寿郎が最後に弟に伝えた「自分の心のまま正しいと思う道を進むよう」という言葉と重なってくるようにわたしには思えます。

ご先祖様からのgoサイン

近代以降における民主主義の脆弱性を指摘したフロムが生まれる、約2400年も前に仏様はすでに同じ意見にたどり着いていたというのは驚きです。

フロム・・・エーリッヒ・フロム。20世紀を代表する社会・心理学者。全体主義についての『自由からの逃走』と『愛するということ』は世界的ロングセラーで、2021年現在、後者は日本でリバイバル中。筆者がこのシリ―ジでメインに参考としている。

わたしたちの社会制度である、民主主義と政教分離という社会制度は、西欧で考え出されたために、キリスト教の倫理に大きく影響されています。民主主義は個人の質を高め、個人が自発的に社会と関わることで、はじめて機能が維持できる制度です。でないと必ず権力者が得し、弱者が無関心と無力感をかかえ、いいように使われる仕組みとなっているからです。「能力」がある人が勇気をもって社会で活動することでかろうじて現状維持できるシステムであるともいえます。

ヨーロッパの人たちのなかで、仏様に敬意を抱いているひとが少なくないのは、仏様の教えの本質がキリスト教倫理(福音)の本質と似ている部分があるからです。それは、それが呼び方が慈愛であれ慈悲であれ、人間の尊厳・主体を肯定している点です。

今の日本で生きるわたしたちが、「私」を取り戻す活動や、「私」を社会で表現したり、「私」として社会とつながりを生み出していく活動は、仏様を信じてきた私たちの日本人の先達への裏切でもなんでもなく、むしろ、彼らが信じたひとのもっとも大切な資質を引き継ぐことであったわけです。

 「私」を失ってしまった「鬼」のようなひとの「諦め」をかたる呪いの言葉には惑わされたくないものです。

「頑張れ、頑張れ炭次郎」は超大事

「私」を取り戻すことも、「私」として生きることと同じように勇気がいります。勇気とは「あえて危険をおかす能力であり、苦痛や失望を受け入れる覚悟」(エーリッヒ・フロム:鈴木 昌訳:紀伊国屋書店『愛するということ』:188項)です。フロムは世界中でベストセラーとなった著書「愛するということ」のなかで「愛するということ」ができるためにはこの勇気が必須であると述べています。なぜなら、相手にあたえている大切な要素が自由だからです。彼は勇気についてこうも言っています。

安全と安定こそが人生の第一条件だという人は、信念を持てない。防衛システムをつくりあげ、そのなかに閉じこもり、他人と距離をおき、自分の所有物にしがみつくことで安全をはかろうとする人は、自分を囚人にしてしまうようなものだ。愛さされるには、そして愛するには、勇気が必要だ。ある価値を、一番大事なものだと判断し、思い切ってジャンプし、その価値に全てをかける勇気である。

エーリッヒ・フロム:鈴木 昌訳:紀伊国屋書店『愛するということ』:187項

これは、人生を投げ出してしまおう、という人生にたいする破壊的な態度である蛮勇とはちがいます。「世間」がどういおうが、心・身体の声に耳をすまして、休息が必要なら、休むことも、場合によっては、撤退して体勢をととのえる決断をすることもまた勇気です。

元NHKアナウンサー・元公益財団法人JKA(旧・自転車振興会)会長であり、作家の下重暁子氏はかなり遅咲きで作家になったひとです。彼女は、自分を信じることについて、「おめでたい才能」という表現でこう言っています。

なんの根拠もないのに思い込めるって、ある意味おめでたいわよね。でも、それが大事なの。馬鹿みたいにそう思える「おめでたさ」を持つ才能。人間っておめでたい才能ってあるんですよ。

――――やりたいことがあるんだったら、おめでたい才能を伸ばしてやるの。そのためには「きっとできる」って自分に期待をかけ続けてやるのが大事なんです。

下重暁子氏『不良という矜持』自由国社:54項

卑屈が「どうせ」という言葉を使い、想定内のそろばん勘定的しかできないのにたいして、勇気は「まだ」という言葉を使い、新たな可能性も視野にいれます。ロールプレイングゲームの主人公の職業が、みな勇者であるのはそのためでしょう。なにも新しいことが起こらず登場人物になにかしらの変化も期待できないロールプレイングゲームなど、だれもやりたいとは思わないはずです。サッカー選手の本多啓介氏は、努力が裏切らないと自分が言う真意は、結果ではなく成長のほうが約束されているからだと言っています。

 『鬼滅の刃』では主人公の炭次郎が足が折れているなかで、鼓の鬼、響凱(きょうがい)という強敵と戦うシーンがあります。その戦闘中、くじけそうになった炭次郎がおのれを鼓舞するこんな言葉があります。

「頑張れ、頑張れ炭次郎、頑張れ!!俺はいままでよくやってきた!!俺はできるやつだ!!そして今日も!!これからも!!折れていても俺がくじけることは絶対にない!!」

アニメ『鬼滅の刃」第十二話 『イノシシは牙を剥き 善逸は眠る』:より引用

これは、まさにくじけそうになったときに覚悟を改めてし直し、勇気を奮いたたせて「私」を支えている描写です。自分を100パーセント信じるこができる存在、自分を丸のまま受けいれてあげられる存在は自分しかいません。この勇気をふるい立たせることができるかどうかが、自分をを取り戻す、もしくは、自分らしく生きるなかで必ず訪れる、逆境をのりこえて先に進めるかどうかを左右することになるのです。

炭次郎とリアム・ギャラガーのアティチュード

世界的ロックバンド・元OASISのボーカルであったリアム・ギャラガーは、かれの歌はへたくそだという批判を受けたさいに、「俺はアティチュード(attitude)を歌ってるんだ」という発言を残しています。

彼の言う「アティチュード」とは、自分の意見を示す姿勢であり、覚悟の現れを意味します。どういう覚悟の現れかというと「自分が自分であること」への覚悟です。「自分が自分であこと」への揺るぎない覚悟に、自信を失いかけている聞き手は励まされ、共感し、強化され、共鳴する。これがおそらく、ロックが他のクラシックやオペラ、ポップスとは別ものとして、今も愛されている理由ではないかと思います。彼の歌声は確かにキレイではなくラフですが、たしかに技巧云々の次元をこえたエネルギーの高まりと説得力を感じます。

これはロックスターのようにすでに大成した人にだけに当てはまることではありません。『夜と霧』の著者のヴィクトール・E・フランクルは次に引用した文章でこういっています。

そこに唯一残された、生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた。

ヴィクトール・E・フランクル 池田香代子 『夜と霧』 株式会社みすず書房

この覚悟のあるなしが、人間の「生」の実感に大きく関係しています。

フランクルは強制収容所で自らが経験した、もう回復の見込みがない末期の病人のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無という極限の状況下で、名前でさえも呼ばれない境遇におかれようとも、人は「どのような決意をするか」によって、その人自身のみならず、周囲の人たちにさえ影響をあたえうることを、目撃したからこそ、この文章は生まれています。

「私」はこう生きる、ということの現れである覚悟をもてるかどうか、それが勇気の内容であり、生きている実感を得られるどうかのカギを握っているのです。

「孤独」は万人に通じる道

とはいえ、勇気は時にくじけそうになるのが人間です。このとき、忘れてはならないのは、個性があるということは唯一無二という意味で孤独な状態ではありますが、孤立ではないということです。

こういう時に助けとなるのは、「私」として社会で活躍している、もしくは、そう生きた先人の生きざまに触れることです。コロナ禍が落ち着きだしたらの話になりますが、生きているなら会いにいってみる、言葉を残しているなら読んでみる、残した仕事や芸術作品をみにいく。そういう苦しい状況で出会った人や言葉や作品だからこそ、今は正直しんどいけど確かに先があるんだ、というイメージを授けてくれ、確かなつながりを感じさせてくれます。

そしてその経験が、さらに「私」を助ける「信念」を強めてくれるはずです。偉大な人や、憧れる人と自分も、人である以上、個性を持った孤独を背負った存在である点は同じだからです。実際に人と会う以外は、人と直接ふれあう経験ではありませんが、その前提となる人間存在への信頼にたいする土台のようなものになってくれます。それが、実際に自分らしく人とつながる道へ通じていきます。

『鬼滅の刃』はそんな勇気の側にいます。それは、わたしがあえて言うまでもないでしょう。炭次郎たちが隣で「がんばれ、がんばれ、おまえはすごいやつなんだ」と、伴走してくれていると思えばこころ強いじゃないですか。

動物行動学者で京都大学理学部長を務めた日高敏隆は、こんな言葉をのこしています。

大事なのはシステムではない。なんでもやってみなさいよ、というのがぼくの基本的な立場だ。

会いたい先達がいたら、素直に直接ドアをノックしてみるといい。

案外、その人は、あとに続く世代を引き立てたい、訪ねてくる人にはいつでも会おうと思っているかもしれない。

そのようにして、人はつながってきたと思うし、ぼくもそうしてきた。これからも、それは続けばいいのではないだろうか。

日高敏隆『世界をこんなふうに見てごらん』集英社文庫

 孤独が重みを持つのは確かです。しかし、だからこそ、人は、同じように「私」を切り離すことなく背負っているもう一つの「孤独」に気が付くことができるようになります。気がつけるとほっとするし、建前や打算をこえて、その人が不思議と知りたくなり、その人が分かり始めてくると嬉しくなります。「ああ、あれはそういう事情があったからなのね」といった具合にです。この深さの共感ほど人を温めてくれるものはありません。この温かさがあるからこそ「私」という孤独はやっていけるのです。

『鬼滅の刃』という物語のなかには「自分らしさ」のメタファーがでてきます。次回は、その一つを浮き彫りにしていきたいと思います。

お付き合い、ありがとうございました。

参考文献

「アニメ『鬼滅の刃』」

[原作者]吾峠呼世晴週刊少年ジャンプ』(集英社

監督 外崎春雄

シリーズ構成・脚本・アニメーション制作 ufotable

[企画]アニメプロデューサー アニプレックス 高橋祐馬

[製作]アニプレックス、集英社、ufotable

放送局 TOKYO MXほか

「劇場版「鬼滅の刃」無限列車編」

原作 吾峠呼世晴

監督 外崎春雄

脚本・制作 ufotable

キャラクターデザイン 松島晃

音楽 梶浦由記、椎名豪

製作 アニプレックス、集英社、ufotable

配給 東宝、アニプレックス

封切日 2020年10月16日

「自由からの逃走」

[作者] ERICH FROMM

[訳者] 日高 六郎 

[発行者] 渋谷 健太郎

[発行所] 株式会社 東京創元社

「愛するということ」

[作者] ERICH FROMM

[訳者] 鈴木 昌

[発行所]紀伊国屋書店

『不良という矜持』

[作者]下重暁子氏

[出版社]自由国社

『世界をこんなふうに見てごらん』

[作者]日高敏隆

[出版社]集英社文庫

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