上野の森美術館所蔵作品展

なんでもない日ばんざい!

@上野の森美術館

こんにちは、matsumoto takuya です。今回は、上野の森美術館で開催中の「なんでもない日ばんざい!」展を取り上げます。

新型コロナウィルスの感染問題により、私たちは日常生活を見つめ返す時間が増えたことと思います。この「なんでもない日ばんざい!」展はこういう時期だからこそより味わえる「日常」がテーマとされています。

展示室風景

日常は実は多面的で、様々な顔を持っている。そんなことを自分では思いつかない表現の作品を見ていくと気づかされます。タイトルの「なんでもない」というネーミングのせいか、内容が平坦で驚きのないというイメージを持ってしまうのですが、とんでもなくて、斬新さ不思議さ美が十分過ぎるほど味わえる「ギャラリー」でした。

日常の中で表現や言葉にされないことで心の底に沈んでいたものがそっと浮かび上がり、気分がほんのり軽くなるそんな内容溢れる現代アート展覧会でした。

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この展覧会は現代アート展そのものです。しかも、啓蒙的要素がないので、絵についてじっくりと向き合えるおすすめの展ではないかと思っています。最近の現代アートは展は少し理屈が過ぎるものが多い気がします。

内容豊かで日常に関わる多岐に渡るテーマと、絵画表現をしげしげと眺めていて何枚か「いいなー」と思える作品があったのですが、このいいなーと思える絵が一概に「上手い絵」ではないことに気がつきました。

今回はこの気づきと現代アートの構成要素ついて書いて行きます。

絵が上手であること=名作でなない

今回展示されている幅の広い作品群を見ていて、なにがしかを感じ取れる絵を見ていくと、そういう絵が決して技巧的な要素だけで成り立っているわけではないことに気がつきます。

かつての絵画は主に技巧が重視されていた時代がありました。今と違いコピー機も写真も、編集ソフトも無い時代です。それからそういう写実的描画や複製が機械でもできるようになり、逆に機械ではできない創造が重視されるようになったーていったというのが本当に大雑把な絵画史です。

技巧はある程度は重要ですが、技巧的に突き詰める必要がなくなってきたとも言えます。

『Landscape01』(長友紀子 鉛筆画 1975)は特にそれが感じ取れる作品でした。巨大なキャンパスに鉛筆だけで絵が描かれている。それも山、湖等が要所要所に描かれているだけで全てが描かれてない。その上描かれている部分も精緻な描写ではない。にもかかわらず、「絵」としての力を放っている。この一枚には現代アートのエッセンスが凝縮されているようでした。

感覚的な美と精神的な美

現代アートについて触れていくと、ジャンルが抽象画であれ表現主義であれ写実的であれ、いいなと思わせてくれる絵画には感覚的な美と精神的な美があるように思います。

感覚的な美は、一目で「ああセンスある」と感じられる美です。わかりやすい。色彩のセンスといえばいいのでしょうか。感性がまだ押さえ込まれていない子供が絶大な力を発揮できる美です。一方で精神的な美というのは、同じ直感でもじわじわ感じ取れるタイプの美です。これは、むしろ色々人間として経験した作家の作品から感じ取れるタイプの美だと思います。このタイプの美は、観る側にも一定の経験があった方がより感じられるものかもしれません。

私はこの2つの要素がある絵を名作だと感じることが多いです。悲劇的とまでもいかないまでも、喪失が付き纏うのが人生です。この経験は、感覚的な美の表現について消極的になるのが避けられません。しかしそれを乗り越えて、感覚的な美をもう一度表現できるようになった画家の名作からは次元の違った美しさが現出してくるように私には思われます。

話を展覧会に戻します。この展覧会では、精神的な美が感じ取れる作品が多かったように思います。

こうやって、考えてみると絵画、そしてそれを描くことができる人間の奥深さ、複雑性や秘めたる力が見えてきます。わたしもこういったものを持っている人間なのだと思うと、ささやかながら「わたしも捨てたもんじゃないな」と根拠のない思いを抱くのでした。

以上、お付き合いありがとうございました。

「上野の森美術館所蔵作品展 なんでもない日ばんざい!」
[会期]7月23日 (木) 〜 8月30日 (日)

[時間]午前10 時─午後5 時(入場は閉館30 分前まで)
[休館日]月曜日(ただし8月10日は開館)、8月11日(火)
[主催]日本美術協会 上野の森美術館、フジテレビジョン
[後援]フジサンケイグループ

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