古典×現代2020

時空を超える日本のアート

東京新美術館

こんにちは、matsumoto takuya です。今回は、乃木坂にある東京新美術館で開催されている「古典×現代2020―時空を超える日本のアート」展を取り上げていきたいと思います。

この展覧会は、日本が誇る過去の芸術家と、現代で活躍している日本人芸術家でペアを作り、かれらの作品を対比展示することで古典と現代の芸術の表現の豊かさ、違い、共通の地下水脈のような美的感覚を堪能できる催しとなっていました。

古典が生まれた時代の生活スタイルから現代に生きるわたしたちの生活スタイルは驚くほど変化しました。今では電車で30分の距離を、昔はそれこそ4,5時間もかけ舗装されていない道を歩いたのです。スマホどころか、電気すらない。古典はそんな時代に生きた人たちが創出したものです。はたして、ここまで生活様式が違うのに「時代を超える日本のアート」、わたしたちのなかに、過去の先人に通じる日本的な美的感覚なんて本当にあるのでしょうか。

今回は、この点に焦点をあてたいと思います。

以下内容を含みます

日本人の高い精神性と文化

今回の展示で気づかされることは、過去の芸術家たちの精神性がとても豊かだったということです。古典が創作された当時は、、単一民族で構成された島国で閉ざされており、しかも、個性を尊重する個人・民主主義の制度はありませんでした。そのような時代背景のなかで、これほどまでに様々ば芸術を発展させてきたことは驚きです。

かつての先人は、禅などにみられる人間性への関心、花鳥風月をめでる心、シンプルな食器一つに趣をもとめる遊び心など、とても精神活動が活発だったことがわかります。一方で、わたしたちの精神活動はどうだろうと思いめぐらしてみると、人間性への関心はどちらかというと「めんどくさいやつ」、花鳥風月にたいしては退屈なもの、遊び心より便利なもの、といった方向にかなり、傾いていると思います。

もちろん、生活にはこういう賢さは必要です。しかし、そちらの方向へ傾きすぎていると感じるのは私だけでしょうか。

芸術家とは、客観的な知性と主観的な感性という二つの領域に足を置き仕事をします。そのため、かれらは、時代の空気に鋭敏です。その鋭敏に主観で感じ取ったに感じ取ったものを時代の空気管を芸術表現の型に置き換える知的な作業の結果として作品が創作されます。つまり、彼らの作品は時代がもつ雰囲気、空気を濃縮して反映しているといえるのです。

たとえば、この展示で、江戸時代の彫師・円空とペアを組む、彫刻家・種田康次氏は、一本の木から掘り起こす彫像スタイル、という共通点からペアとなっています。両者の作品を比べてみると、円空の彫った仏像は、従来までの私たちが知っているようなある意味で装飾等がほどこされた細緻な仏像とは全く違うフォルムをしています。切り出した木の表情や、丸太を割った際に生じた断面が生きるように彫られた彼の仏像からは温かい存在感をかんじます。一方で種田氏の彫刻は繊細な彫刻で、モデルとしての未成年の像からは未完成ゆえの不安が色濃く、存在から少し浮足だった危うさを感じます。

芸術家が時代の雰囲気を表現しているという観点から見ると、過去とはくらべものにならないほど物質的に豊かになった現代という時代に生きる私たちが、いかに生きづらさを内に抱え込まざるを得ない「時代の空気」の中で生活しているのか、といういわれて久しいこの言説が浮き彫りになったかのようでした。

もちろん、表現内容をいっているわけではありません。

ところで、ここまで生活スタイルも、「時代の空気」も違うかつての日本人と、現代のわたしたち。そんな両者にに、時空超える共感を可能にする共通の美意識みたいなものなんてあるんでしょうか。

古典の表現領域を広げる現代芸術家

日光・月光菩薩と四根剛さんのコラボレーションは、時代に流されない日本人独自の共通の美意識のようなものが感じ取れます。

正直なところ、わたしはライトアップをして仏像とコラボするインタラクションにはしっくり感じないたちでした。確かに印象的になったり、いつもとは違った見方ができる点はおもしろいのですが、わたしが思う仏像がもつ最も重要な美的要素である、深み、奥行き、といった色気ある美しさがが、フラットになって薄れてしまうからです。

しかし、このコラボレーションは別物でした。動きある光の照明、動きある陰影空間、全てを明確に露出しない美しさ、低音でくりかえされるお経の祈りを含んだリズムとつかの間の静寂、これらがもうあいまって、静かに包み込むような美が際立つようでした。とにもかくにもわたしの浮足がちでざわついた心が休まったのを覚えています

このコラボレーションに、日本人にの地下水脈にある美意識はたしかにあるのだと、目、耳、全身の感覚で実感することができました。四根氏は、エストニア国立博物館等をデザインしている、現代建築デザイナーだそうです。仏教関係者でも宮大工でも、日本風の建築専門の型でもない彼がコラボしてこのような日本の古典の巨匠の美をさらに深められた様を見ると、本当に、わたしたちの中に日本人特有の美への価値観が宿っているのだと理屈をこえて実感でしました。

生活スタイルは違えど同じ人間

ここまで、古典と現代の日本の芸術家の作品から、相違点、共通点を見てきました。

ここで、そろそろ冒頭の問い「生活様式が違うのに「時代を超える日本のアート」、わたしたちのなかに、過去の先人に通じる日本的な美的感覚なんて本当にあるのか」の答えをだしたいとおもいます。

もちろん答えは「イエス」です。

科学や経済は最先端の状態が望ましいのに対して、美的意識、精神的価値観、人間性に属するものはそういう縛りがありません。大昔の日本人がさくらの散りゆくはかなさをみて、感動するように、今のわたしたちも感動するときは感動します。この内なる領域にある、精神的価値、つまり人間であることに、変わりはないのです

ただ、現代の「空気感によって」、生活スタイルは、どうしても味わうことよりも計算的で効率がいいことや、色彩や音色、またまた言動までどんどん派手な方向流されていることも確かです。この展覧会は、浮足立ち名現代に生きるわたしたちの足場をすこし固めてくれるようでした。

以上、ながながとおつきあいありがとうごさいました。

「古典×現代2020―時空を超える日本のアート」
[会期]2020年6月24日(水)~8月24日(月)
毎週火曜日休館
[開館時間]10:00~18:00
毎週金・土曜日は20:00まで 当面の間、夜間開館は行いません。
※入場は閉館の30分前まで
[会場]国立新美術館 企画展示室2E
〒106-8558東京都港区六本木7-22-2
[主催]国立新美術館、國華社、朝日新聞社、
文化庁、独立行政法人日本芸術文化振興会
[協賛]大日本印刷、UACJ

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