「永遠のソール・ライター」展

ニューヨークが生んだ伝説の写真家

@東急文化村 ザ・ミュージアム

こんにちは、matsumoto takuya です。今回は渋谷の東急文化村の展覧会「永遠のソール・ライター」展について取り上げます。

「永遠のソール・ライター」展公式サイト

2020年1月、「永遠のソール・ライター」展は一度、東急文化村により開催さましたが、新型コロナウイルスの影響で惜しまれながら、中止を余儀なくされました。その後、写真を提供してくれたソール・ライター財団のあるニューヨークでの新型コロナウイルスの流行が勢いを増したことで返還が難しくなり、彼の作品は日本で保管されることになったそうです。そして、この経緯を活かしたい東急文化村の展覧会再開催のオファーをソール・ライター財団が快諾してし、急遽アンコール開催が決定したといういきさつがあったそうです。

前回の展覧会を知らなかったわたしにとって、このアンコール開催のおかげで彼の作品を見ることができたわけです。なにか不思議な縁を感じました。

’’伝説’と呼ばれた写真家

ソール・ライターはニューヨークを拠点に活動していた”伝説”の写真家です。なぜ、伝説といわれるか。それは、彼がほとんど権威や広告といった力を借りずして、世代を超えて人々に支持され続けているからです。名前は有名でなくても、とにもかくにも写真がいいと人々に支持される、つまり「本物」なのです

展覧会では、すでに公開された彼の写真はもちろんのこと、非公開の写真、彼が描いた絵や、彼のパートナー(彼女はモデルでした。)ヌード写真や彼女の絵まで、’伝説’とよばれた彼の仕事の全容が見渡せる内容となっています。

’伝説’とよばれた彼が、好んで映していた風景はニューヨークの近所の風景でした。’伝説’という形容詞はどこか他人事のような気がしていたのですが、展示作品を観ていくにつれて、彼が一人の生身の人間なんだと感じられるようになります。とても情緒的な雰囲気を纏っているのです。

彼の作品に添えらるよな形で、彼の言葉が壁のところどころにプリントされています。これがまた、忘れがちな大切なものを思い出させてくれるようないい言葉ばかりなのです。また彼の言葉には、写真について、さらには彼の美についての思想が見え隠れしているようでした。

こころが安らぎ喜ぶ

とっても素敵な展覧会でした。わたしは写真の展覧会で、彼のざっくりとした生い立ちと読み、写真をただ眺めただけです。それなのに、退館時には人間味あふれる美しい物語を聞かせてもらった後のような余韻を感じました。ああ、人間って捨てたもんじゃないな。とそういう言葉が心に浮かんだくらいです。

アンコールしてくれた人たち、それにこたえてくれた開催者側の方たちにはに感謝します。いい活動、仕事とはこういうものを言うんですね。何かとげとげしくやかましい、閉塞的なこのご時世、こういう展覧会日があると少しほっとしますし、なんだか嬉しくなりました。

今回の、アンコール開催はとても貴重なものですので、まだ訪れていらっしゃらない方がいたらお勧めです。

それにしても、どうして彼の写真にはこれほど人を魅了するのでしょうか。

以下、展示の具体的な内容が含まれます

彼が写真をとった動機

興味深い点は、彼が成功に執着がなかったことです。彼が57,8歳のころ、写真家としての腕も、名声もコネクションも要した成功しやすい条件が整うなかで、自身の商業用スタジオをたたんでいます。そして、その後、公の舞台で大々的に広告・発表することはなく(個展や展覧会への出展はポツリポツリあったものの)2013年、ニューヨークで息をひきとります。

今回の展覧会では、引退してから晩年に至るまで、彼によって取られた写真を見ることができます。彼は、写真をやめたわけではなかったのです。その未公開であった写真をみても現役のそれと遜色ないように感じました。

これらのことから、かれが写真を撮ることにおいて何を一番大事なものとしていたかが見えてきます。それは、世間体や名誉でもなければ大金でもなく、日常や近所においても見る側に世界の面白さを気づかせることができる写真への愛だったということです。

ここに、彼が世を去ってのなお、彼の写真が国境を越えて人々に愛されて、リバイバルされる重要な要素があるような気がするのです。

彼の写真は、多数派にいる安楽さや褒められたい誘惑よりも、じぶんが良いと感じるものを優先した結果の生まれたものです。受動的な動機ではなく、自らの心を掘り下げていき取られた写真だからこそ、同じように心を持つ万人に通じる写真になったのではないでしょうか。

写真はおもしろいと気づかせてくれる

わたしは正直なところ、写真という表現について、あまりピンとこないたちでした。嫌いだっったというわけではないのですが、おしゃれだなーと思うていどでそれ以上ではありませんでした。感心はするが心が揺らぐようなものではなかったのです。

しかし、彼の作品に触れることでその見方は大きく修正されました。彼の写真には、何とも言えない惹きつける力があり美しく不思議が内包されています。抵抗なく見入ってしまう力があるのです。彼はこのことに、自覚的でした。

”I had the hope that the result would like a photograph rather than a fasshion photograph”

‘私が望んだのは、撮影の結果がファッション写真以上の”写真”になることだった。’

永遠のソール・ライター:展示室壁面より引用

どうやら、彼は写真の可能性を自ら押し広げていったようです。ここで面白いなと思うのは、ファッション的な美とファッション以上の美は違うということです。この二つの美の違いなんなんだろうということです。少なくともかれの残した美しい写真のなかで古臭さを感じさせないという点においては、彼が商業的に撮ったバージョンよりは、かれが媚びることなくとった近所を舞台に撮った写真のほうがまさっているような気がします。

真の芸術の美は世代を超えると言われます。つまり永続性があるのです。その点で、この展覧会に「永遠」という言葉が冠せられているのも納得です。

ソウルライターの写真の秘密

ソール・ライターの手にかかると、つまらない日常の風景は、情緒的にミステリアスに切り取られます。

ところで、彼が映す写真と、普通の写真とでは何が違っているのでしょうか。

私はその秘密の一つとして、映し切らない部分を用意することだと思います。

写真は馬鹿正直に映すとあまりに世界を細緻に描き出しすぎてしまう。わたしたちの視界は焦点があり、周縁はぼやけているもので、写実的すぎるものなものはかえって不自然に感じるものです。このはっきり全てを描かない部分から、不思議な魅力が漂い始めるのではないかと思ったのです。映し切れていないわからない部分があると逆に注目してほしい部分にすっと目がいく。同時に移し切らない部分があるとに見る側の心には自由な想像ができるゆとりみたいなものが生まれるからです。これによって観る側が適度にリラックスでき、同時に集中できるのです。

そこにわたしは彼の写真の秘密があるように思います。

父と妹からの影響  ~後天的ファクター~

まだアマチュア時代にソール・ライターが被写体のモデルにしていた人がいます。妹のデボラです。彼らの父親はユダヤ教のラビであり、とても厳格(とくに「気持ちへの配慮」に欠けるタイプ)な人だったそうです。感性の高かった彼は父子関係で精神的な繋がりを感じることができなかったのか、内気になっていきます。そんななか絵を描くことに救いを見出していたようです。

そのような環境の中、デボラは彼の気持ちを汲むことができ、彼の才能や意思を後押しする存在だったそうです。彼女は高い感受性と知性をもちユーモアあふれる女性だったそうです。

父親に自らの感性や意思を全く評価されず、むしろ、ラビ(名誉ある職をえて社会成功すること)になるためには邪魔なものと決めつけられてしまっていた彼にとって、デボラのような人間が身近に一人いたことはどんなに救いであり、支えであったことでしょう。

どんなに才能があろうと、磨かれなければ光りません。そして、そのせっかくの才能は幼少期の近しい人たちとの関係のなかでわりと簡単に折られ消されてしまうことは珍しくありません。そう考えると、まだ写真家とは名乗るにいたらなかった彼を写真界の巨匠へとそっと導いたのは彼女だったのではないでしょうか。いたたまれないのは、彼女が20歳を過ぎたころ精神バランスを崩し精神病院に入院しその後外の世界に戻ることなく亡くなったということです。

この展覧会では、彼女をモデルにとられた写真が一つのコーナーにキュレートされ見ることができます。他の写真と違う点は、素直な方法で彼女の屈託ない自然体が映されていることです。そこには、自然な温かみが宿っているようでした。妹の写真を撮るときの彼の気持ちが宿っているのだと思いました。いてくれてありがとうという感謝の気持ちです。わたしも、彼の仕事にいいなと思えた一人として彼女に感謝を伝えたいです。デボラありがとう。

写真から見る精神性の豊かさ

彼の写真には、色彩の美しさのみならず情緒性があります。映されている人物や景色に奥行きがあるということです。これは偶然そのように映り込んだのではなく、彼がそうゆう構図になるべく撮ったのです。別の角度から見れば、かれがそのような深さで世界を眺める能力を磨いて有していたとえます。そのように見るための高い精神性と洞察力や人間存在への理解があったのだろうとおもいます。

何が言いたいかといえば、彼の写真が色彩の美だけでなく、知的さや精神性が豊かな広がりを持ち、わたしたちはそこに惹かれるのではないかと言うことです。

以上、私が思った彼の写真の秘密でした。ながながとお付き合いありがとうございました。

p.s

「ソール・ライターのすべて」という彼の写真と言葉が収められた総括的な本が出版されています。そこでは彼の写真とともに、珠玉ともいえる言葉が収められています。こちらの本も進めです。ここでは一つだけ紹介します。

”I have a great respect for people who do nothing”

’私が大きな敬意を払うのは、なにもしていない人たちだ。’

ソール・ライター「ソール・ライター」のすべて:48頁より引用

彼の写真には間違いなく人生感が反映されています。彼の作品と同じく、急き立てられがちな生活のなかで彼の言葉はほっと一息つく一助になります。以上p.sでした。

本「ソール・ライターのすべて」についてはブックレビューも書いておりますので。興味のある方は是非こちらへお越しください。

筆者がこの展覧で触発され、撮った一枚
  • 「永遠のソール・ライター」展
  • [主催]Bunkamura 読売新聞社
  • [期間]2020/1/22(水)~9/28 (月) *8/18(火)・9/8(火)のみ休館
  • [時間]10:00-18:00(入館は17:30まで)
  • [会場]Bunkamura ザ・ミュージアム
  • [協賛・協力等]
  • 協力 ソール・ライター財団
  • 後援 J-WAVE
  • 企画協力 コンタクト

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