森山大道の東京ongoing

@東京都写真美術館

こんにちは、matsumoto takuya です。今回は東京都写真美術館で開催中の「森山大道の東京ongoing」展をとりあげます。

「森山大道の東京ongoing」展公式サイト

日本を代表する写真家・森山大道は「アレ・ブレ・ボケ」と形容される作品でしられる日本を代表する写真家です。この展覧会では、過去の作品から現在の作品まで、思う存分楽しめる展覧会となっています。彼の映すスナップ写真には今はなき昭和の空気、平成の空気といったもものが色濃く漂っていました。親がまだ青年だったとき、こういう時代の空気の中で呼吸していたんだな、と思わせてくれるようなファッショナブルでノスタルジックな世界観が経験できます。

かれの写真は人間の泥臭い部分としゃれっ気がありました。

ところで、わたしは写真について、「写真」としていいなーと思うことがあってもの、絵画に感じるそれとは違う良さを感じることが多いです。写真はいどちらかといえば、ドライで、ファッショナブルで実際的な要素がおおきい。対して、絵画は、ひとからどう見られたいという要素が弱まり、個人的な想いや感覚の要素をが大きくなる。どちらがいいといいたいのではなくて、それぞれに表現しやすいそれぞれの領域があるのではないかということです。

今回はその「写真と絵画の領域」について、少し探求していきます。

以下内容を一部ふくみます

なぜ白黒はおもしろいと感じやすいのか

わたしは、かれのスナップ写真を見ていて、カラーより白黒の写真のほうに面白さを感じました。そもそも、彼のスナップというよりは、写真全般にそう感じることが多いです。このような感想はわたしだけではなく、カラー写真がうまれて以来ある意味で多数派だったようです。ニューヨークの伝説の写真家であったソール・ライターは著書『ソール・ライターのすべて』でこんなことをつぶやいています。

“I like color even though many photographers looked down on color or felt it was superficial or shallow.”

‘私は色が好きだった。たとえ多くの写真家が軽んじたり、表面的だと思ったとしても。’

ソール・ライター:『ソール・ライターのすべて』176頁より引用

写真家のなかでも、白黒の写真でとられた写真のほうに魅力を感じている人は昔から多かったようです。これは、いいかえれば、プロであってもカラー写真で名作を撮るのは難しいということです。それはなぜなのでしょうか。

日常と不思議はトレード・オフ

カラー写真について考えてみますと、普通にカラーで日常を撮影した時に、そこに映る景色の色彩は普段見慣れている色彩で、しかも描写は超写実的なものとなります。一方でモノクロ写真は色彩がない。そんなの当たり前じゃないかといわれるかもしれませんが、すべてがいつも同じように見えてしまっていることこそがつまらなさの原因だと思うのです

見る側の人は、シンプルな陰影のみので描かれたモノクロの世界に、シンプルさや「非日常感」と、自ら色彩を想像できる余地をみいだします。わたしはおそらく、この写実てきには欠けている部分が不思議さを生みんでいるのではないかと思うのです。カラー写真はあまりにも日常を正確無比に描きすぎてしまうのです。「美術」の領域まで高めた一枚を撮るには、撮り手の審美眼やフレームのなかの雑多な色彩や対象物を取捨選択する技術がもとめられるのです。この点が、カラー写真のほうが白黒写真より撮るのが難しい一因なのです。ソールライターはこんな言葉も残しています。

”There is just too much.”

’とにかく多すぎる’

ソール・ライター:『ソール・ライターのすべて』12頁より引用

*ソール・ライター展は東急文化村ザ・ミュージアム7/22(火)~9/28(月)でアンコール開催がなされています。おすすめです。ソール・ライター展と彼の著書『ソール・ライターのすべて』についても書いていますのでよかったらこちらへ、ソール・ライター展『ソール・ライターのすべて』

話をこの展覧会にもどします。わたしはこの展覧会では「写真」として眺めていたのですが、彼の作品の中で何枚か、「おや、これは絵画の域に入っているぞ」と関させてくれる作品が何点かありました。タイトルは忘れてしまったのですが、犬の写真と、ドレスを着た女性の写真でした。このどちらからもファッショナブルを超えた何かの存在を感じさせてくれるものでした。そのうち、ドレスを着た女性の写真は印象的でした。

異質な一枚と写真の可能性

この一枚はモノクロなのですが、写真と最初に言われていなければ抽象画かと間違えていたかもしれません。それほど、「写真」から遠く離れた位置にあるような感じがしたのです。ファッション性と同時にミステリアスな美がほのかに感じ取れる。この写真にはいまもなお進化中「ongoing」の大家・大森大道のさらなる高見への可能性が感じられました。

考えてみれば、彼の作品は「アレ・ブレ・ボケ」と形容されています。これは、まさしく、それらによってフレームのなかに混在する過剰な部分を意図的に捨て去っているということがいうことができると思います。

性別と視点

ところで彼の作品は、男の目線で撮られている作品もみうけられます。この展覧会の大トリでは、薄暗い展示室が用意されていて、女性の身体の曲線に焦点を当てたような作品が液晶モニターで展示されていました。やや、エロス的な要素が強い作品空間でした。

この展示小部屋は出入り口が同じです。わたしがその出入り口あたりに展示されているスナップ写真を気の抜けた顔ででしばらくの間ボケーと眺めている間に、5,6組が出入りしていました。その時フッと、ある事に気がついたのです。

「女性は部屋からめっちゃ早くでてくる」ということです。男性に比べて、女性はこの部屋から出てくる時間が、つまり鑑賞時間がめちゃくちゃ短い。男女ではジェンダー的な違いが確かにあるのだな、ということがよくわかりました。

以上、写真家・大森大道展についてでした。おつきあいありがとうございました。

「森山大道の東京ongoing」展
[会期]2020/6/2(火)~9/22(祝・火)
[会場]東京都写真美術館
[休館日]月曜日

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